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ハバナ旧市街は、キューバの首都・ハバナを構成する歴史地区です。ハバナは、スペイン人征服者達により、1514年にキューバ島南岸に建設されましたが、1519年に現在の場所に移転されました。1607年にはキューバ植民地の首府となりました。港を中心に都市を築かれたハバナは、スペインの新大陸における植民地管理の中心地として、及びに貿易の主要な中継地として急速に発展した。ハバナ旧市街は、白い建物が多い美しい街並みで、アルマス広場を中心に、ハバナ大聖堂、ハバナ市博物館(旧スペイン総督官邸)や、数々の教会と修道院など、今なお植民地時代以来の歴史的遺物が残っています。ハバナ港入口にある要塞は、フエルサ要塞、モロ要塞、プンタ要塞 、カバーニャ要塞の四つで、16世紀末から17世紀初頭にかけて海賊による襲撃から都市を守るために築いたものです。 |
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トリニダは、キューバ中央部サンクティ・スピリトゥス県の町。1514年12月23日、ディエゴ・ベラスケスにより、キューバで三番目の居住地としてビジャ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダは建設されました。砂糖取引で栄えた嘗ての繁栄を偲ばせるトリニダの町並みは、近隣のロス・インヘニオス渓谷と共に、1988年にユネスコの世界遺産リストに登録されました。500年の歴史を誇るトリニダには、植民地時代の雰囲気を色濃く残すコロニアル様式の建造物群が数多く残っています。旧市街には、丸石の敷き詰められた街路や、精巧に作り上げられた格子窓を具えた富裕層の旧邸宅、壮大な宮殿や広場などが並んでいます。また、ロス・インヘニオス渓谷は、18世紀末から19世紀末まで砂糖生産の中心地であり、最盛期には、渓谷において50以上の製糖工場が稼動していた。ほとんどの製糖工場は既に廃墟と化していますが、農園主の邸宅が残るグアチナンゴや、農園主の邸宅、監視塔バラコーネス、奴隷の居住地区などが残るマナカ・イグナサの地所のように、無傷の建造物の残る遺跡もあります。45mの高さを誇る監視塔、マナカ・イスナーガの塔 は、農園主アレホ・イスナーガが1830年に建造したものである。この塔はサトウキビ農園を360度見渡すことができ、奴隷たちを監視するのに使われていました。 |
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サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、サンティアゴ・デ・クーバの市街地の南西10kmの沿岸部にある城塞です。通称は、エル・モロ・デ・サンティアゴ。町には、17世紀初頭に建造された小さな要塞が存在していましたが、ペドロ・デ・ラ・ロカ・イ・ボルハ総督の命により、海賊の襲撃から町を防衛するため、強固な軍事要塞を新たに建造することになりました。軍事要塞の建設は1638年に開始、完成まで42年を要しましたが、最終的な工事は断続的に続けられて1700年に終了。サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、サンティアゴ・デ・クーバ湾の中で伸びる岬の絶壁上に建ち、4層構造で、大砲を備えた3つの城壁に守られていました。城西は17世紀、18世紀の地震で損壊し、その度に修復がなされました。20世紀になると城塞は朽ちていき、1960年代に再度修復が施されました。1997年には、この城塞はスペイン帝国が新大陸で築いた軍事建築物の中で、最も状態が良く、完全な形で残っているものとして、世界遺産リストに登録されました。 |
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| グランマ号上陸記念国立公園は、キューバ東部のグランマ州にある国立公園。国立公園の総面積は261.8km²。1956年12月2日、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラら82名の革命同志がグランマ号で上陸した地域が、国立公園の名前に由来しています。国立公園はマエストラ山脈の西側斜面にあたり、標高360 mから水深180m(高低差540m)に及ぶ急勾配の石灰岩の段丘が海中まで伸びています。この地形が織りなす自然美と、カルスト地形の海岸段丘が地学的に重要だと評価され世界遺産となりました。特有の地形と、少ない年間降水量が特異な生物相を形成し、公園一帯には約300種の固有種を含む500種以上の植物や、マナティーなどの希少動物が生息しています。 |
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ビニャーレス渓谷は、キューバ西部のピナル・デル・リオ州にあるカルスト地形の窪地です。渓谷の総面積は132km²。ビニャーレス市の真北にあたるオルガノス山脈に位置。渓谷の麓では、家畜を使った伝統的な農法によってタバコなどが栽培されており、その耕地が独特の景観を呈しています。渓谷一帯には、この地方独特の建築技法を用いた家屋が点在し、人間の営みと自然が調和した景観も優れているとされ、世界遺産に登録されました。また、渓谷周辺の斜面にある数多くの洞穴と、モゴーテ(ピラミッド型地形の意)と呼ばれる、神秘的な風格で谷底から屹立する断崖の自然の造形美は、ビニャーレス渓谷を代表する景観として知られています。 |
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キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観は、キューバ東部のサンティアゴ・デ・クーバ州とグアンタナモ州に跨る、81,475ヘクタールの土地に、171のコーヒー農園の遺跡が残っています。世界遺産登録の登録に際しては、森林を開墾して作り上げた、苦闘の痕跡が窺える文化的景観を呈していることなどが評価された。19世紀初頭、マエストラ山脈の原生林を開拓して、大規模なコーヒー農園が開拓されるようになりました。カリブ海での黒人奴隷を使った農園は、18世紀にはフランスの植民地サン・ドマング(現在のハイチ共和国)で大規模に行われていました。しかし、1804年1月1日、革命によりハイチが独立すると、フランス人農園主は多くの黒人奴隷を連れて、当時スペイン領であった隣の島キューバに移住する者たちが現れました。キューバは、主にサトウキビ農園の移入地になったが、南東部のマエストラ山脈の麓は、ハイチと似た気候であったため、コーヒー農園の移入が試みられました。彼らはマエストラ山の土地を得て、再びコーヒーの生産をすることになりましたが、19世紀後半にブラジルやコロンビアなどで、新しい技術のコーヒー栽培が始まると、キューバのコーヒー農園は時代の趨勢から取り残され寂れていきました。現在、山の斜面に面した広大な農園の中には、往事のトロッコなどの設備も残され、植民地時代のコーヒー栽培の模様を体験することができます。 |
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| アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園は、キューバ南東部のグアンタナモ州とオルギン州に跨る国立公園。総面積は711.4km²。公園名は、ドイツの科学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが1800年から1801年にかけてキューバを訪問したことに由来します。山岳地帯から海岸にかけて広がる自然が生み出す景観の見事さに加えて、珊瑚礁に彩られた美しい海岸線がカリブ海の豊かな自然を体感させてくれます。国立公園内を流れる河川のいくつかは、カリブ海地域において最大級です。 |
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シエンフエゴスは、キューバの中央部南岸にある都市で、シエンフエゴス県の県庁所在地。2005年、19世紀に建設された旧市街が、シエンフエゴスの都市歴史地区としてユネスコの世界遺産に登録されました。シエンフエゴスは1819年4月22日、ドン・ルイス・デ・クルエが率いたボルドー、フィラデルフィアやルイジアナからの仏系入植者により建設された植民地集落でした。集落は1829年に町に昇格し、当時のキューバ島総司令官であるドン・ホセ・シエンフエゴス・ホベリャノスに敬意を表し、シエンフエゴスと命名。都市は、フランス式の近代的都市計画を取り入れ、格子状の街路に整然と建造物が並べられ、一体的な景観を呈しています。当初は新古典主義様式が用いられましたが、次第に他の様式が折衷されていきました。19世紀前半に建てられた建物のうち、現存しているのは6棟、19世紀後半のものは327棟、それ以降のものが1,188棟です。 |
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カマグエイは、キューバ中央部のカマグエイ県の県庁所在地。旧称はサンタ・マリア・デル・プエルト・プリンシペ。ハバナの南東方約550kmの地点にあり、キューバ島内陸の交通要所です。1515年、現在のヌエビ−タス市のギンチョ岬に移住地が建設されましたが、度重なる海賊の攻撃を受け、1528年1月6日、内陸部へ移転しました。19世紀頃までスペイン領西インド諸島の経済的な中心地として繁栄しました。中央広場を中心に区画整理された他の植民都市とは異なり、カマグエイの街は区画整理されず、曲がりくねった不規則で複雑な街並みを呈しています。外敵の侵入を防ぐため、細い路地と無数の袋小路が血管のように走り、一つとしてまっすぐな道がありません。細い道に対して、隙間なく並んだ建物により巨大な迷路を歩いているような感覚に襲われます。歴史地区の建物は、17世紀の教会から19世紀の劇場まで、新古典主義やアールデコなど、各時代の建築様式を反映しています。 |
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